白骨の御文章

こんにちは!
八幡西区の低価格葬儀社、直葬・家族葬の心響(こきょう)折尾斎場です。

直葬・家族葬の心響(こきょう)グループでは、葬儀だけではなく、各種法要のお手伝いも承っています。
この度、法要を承ったお客様は心響(こきょう)折尾斎場のゆったりとした空間で、節目となる四十九日法要を執り行い、親族全員集まる事ができました。
何より自宅で執り行うと女性陣は親族のお世話でてんてこ舞いになってしまうので、とても助かりました。とお喜び頂け、来年の初盆のご予約まで頂き、私どもとしても嬉しい限りでした。

さて、浄土真宗の仏事法事でよく読まれる御文章というものをご存じでしょうか?
今日の四十九日法要で読まれたものはいくつかある御文章の中で、あの司馬遼太郎さんも歴史的な名分と言われる『白骨の御文章』でした。

凡そはかなきものは、この世の始中終、幻の如くなる一期なり

朝には紅顔ありて、夕には白骨となれる身なり

ただ白骨のみぞ残れり。あわれといふも、なかなか疎かなり

誰の人も早く後生の一大事を心にかけて

など、印象的な言葉が並んでいて聞くたびに、どこか心に響いてきます。
古文の為、きちんと意味をわかりたいと思い調べてみました。
実はこの御文章が書かれた背景には、娘を結婚式前日に亡くし、悲しみのあまりに後を追うように父親も母親も亡くなってしまうというとても痛ましい出来事があったそうです。そしてその出来事を受けて蓮如上人が書かれたのが『白骨の御文章』で、その中には人間の儚さを諭した、深いメッセージが込められています。

以下、wikipediaによる原文の大意によると

今日・明日の事しか考えない人々の姿を見て考えると、人の生涯は儚いものであります。まるで幻のようなものです。今は元気でも、次の瞬間には死んでしまうかもしれない。死は、年齢を問いません。だから、その日暮らしの生活ではなくて、これからの生き方を考えてください。という意味だそうです。

引用元:Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E9%AA%A8_(%E5%BE%A1%E6%96%87)

いつ何が起きるか分からない世界の中で私たちは、儚い命を人ごとではなく我が身のことと考え、地に足がついた人生を歩んで行かなければならないと思いました。

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